『京都ぎらい』井上章一 朝日新聞出版
日本に帰ってきて、でも正月なので、図書館が利用できません。
1ヶ月家を開けるときに、手元に置いてあった本を一旦片付けてしまったので、すぐに用意できない。しかも、何を読んでいたか覚えてないというか、ピンとこない。探し出して続きを読む心構えができていないというか。。。
そこで、家の本棚にあった、おそらく母の本で、かつ簡単に読めそうな物を選んで読み始めました。
『京都ぎらい』
どこかの書評で目にしたことがあり、面白そうだと思っていたのですが、わが家にあるとは知らなかった(笑)。
腰帯に「千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く」とあるので、もう前もってあれやこれや、京都人の悪口みたいなものがたくさん書かれているのかと想像してしまいました。
そう言う意味では、第一章は期待通りの始まりという感じ。
京都の中でのヒエラルキーというか、嵯峨という郊外育ちに対する打撃を受けた著者の体験談で始まり、うわー、京都って中でこんなことしてるの?という話が続きます。
まあ、東京だって品川ナンバーがもてはやされたりとか、大なり小なりどんな場所にでもあるでしょ?と言えるものかもしれないけど、なぜか京都はちょっと別という感じがしないでもない。
そこは京都という「中華思想」のせいでしょうか。明らかに「周辺」を見下しています。京都以外に中心なし、な感じ。相対化されない感じ。。。
ブラジルでの「キョオト」はちょっと笑いを禁じ得ない。著者が感じていたであろう爽快感がなんとも可愛らしい。
そんな具合で第二章以降は、それをさらに過激化していく内容かと思っていたら、違います。単なる恨みつらみを込めた本ではありません。著者はご自身ではそんな風に思っているかもしれないけれど、読み進めていくと別に京都のこと悪く言ってるようには思えなくて、ちょっと意外というか肩透かし食らった感じ。
著者の教養が出るのか、考察を加えていくと、京都の特別感は浮き上がってくるものの、「嫌い」「いやらしさ」って感じはしてない。。。と思いました。
南北朝の話と嵯峨への思い入れ話は、歴史の展開の面白さを垣間見れたし、歴史が身近にある場所で育った子供の感覚と真剣な思い入れ話として読みました。鎌倉出身の自称アマチュア歴史研究家の友人が似たようなことを話していたのを覚えています。
どんな本読んでも「〜のこと、実は全然知らなかったんだなあ」と思ってしまうのですが、この本読んでもやはり思いました。京都のこと、知らないなあ。。。と。
取っ掛かりとして南北朝時代のこと、もうちょっと知りたいと思います。
あと、歴史関係の話では、今の京都は案外と徳川最初の三代くらいが重点的に復興させた街であるということも面白いと思いました。徳川の力の誇示、らしいですけども。
京都っていつからこういう「京都」なんだろう?とか、
都だからっていうなら、京都の前のみやこ所在地に対してはどう思ってるんだろう?とか、ちょっと思いました。
つらつら書き連ねただけでなんのまとまりにもなってませんが、これが2020年最初に完読した本でした。
人気ブログランキングに参加してます。
クリックいただけると嬉しいです。