『失われた古代ユダヤ王朝「大和」の謎』飛鳥昭雄・三神たける 学研 2006年
昨日の記事で、飛鳥昭雄氏の本を最近読んだと書きましたが、遡ってそちらの本についても書いてみます。
↓昨日の記事
これは2006年初版でさらに古い。ページをめくっただけで、ちょっと「ひと昔感」があります。
これまた真偽はさておき。
(。。。とてもとても私に判定できるようなことではありません。)
でも、著者は丁寧に取材されているようなんですよね。
推理、理論の積み上げ方法の是非は別にしても、そういうものが残されている、書かれている、といった事実はあるわけですよね。唸ってしまいます。
冒頭の写真で、本邦初公開という、米軍(占領軍)が仁徳天皇陵、応神天皇陵を戦後、発掘していったとある。厳密にいうなら、この3枚の写真で発掘されたという証拠にはならない(から許可されたのでしょう)、発掘作業中の写真ではないし。
しかし本当なら、やはり衝撃的だし、ちょっとやりきれない気持ちを抱いてしまう。なんでも、アメリカの博物館に天皇陵から出土したと言われている、というアイテムが保管されているらしいし。。。
そういえば、占領軍が伊勢神宮を調査に来たという話もどこかで読んだ事があった。
なんでも、伊勢神宮に爆弾落としてもまっすぐ伊勢神宮には落ちなかったとかいう。。。
どこで読んだかは失念してますが。。
古代ユダヤと日本のつながりはいろいろなところで指摘されているのを目にしたことは何度かあったと思いますが、今年に入って『京都ぎらい』を読んで、そのあとに平安京はエルサレムとして作られたとかいう話を読むと、京都の人の京都以外への差別?区別?意識もなんか、ワケがあるような気がして来ますね。ユダヤ人の選民思想とか言いますしね。(とはいえ、イメージで思っただけなので、そんなんじゃないよということだったらごめんなさい)。
この本で、新羅は「新羅馬」(新ローマ)ではないかという話がありましたが、昨日の記事の本(新しい方)ではさらに、渡来人の秦氏の本拠地(?)と言える太秦(うずまさ)も、「大」と「太」の字が入れ替え可能という前提ですが、 「大秦」と言ったら古代ローマ帝国のことなんですよね、と。
でも、古代ユダヤ人の歴史もほとんど知らないなあと自覚しました。古代ローマ帝国の中で反乱起こしたりしてるんですね。初心者向けの歴史の本を探してみようと思います。